フルゲート20頭の強豪が集った2005年のケンタッキーダービーは、
凄まじいまでのサバイバルレースとなりました。
先頭争いを繰り広げてきたライバルたちを抑え、
直線で生き残ったのはアレックスアフリートでした。
しかし、ゴール直前で、
アフリートアレックスの脚が止まってしまいます。
大外から追い上げてきた14番人気のジャコモ、
20番人気のクロージングアーギュメントといった
伏兵中の伏兵たちに交わされたアフリートアレックスは、
勝ったジャコモから1馬身差の3着で
このケンタッキーダービーを終えます。
「アフリートアレックスは、残念ながら負けてしまいましたが、
チャーチルダウンズ競馬場に開設された
“アレックスちゃんのレモネードスタンド”は大盛況で、
記録的な売り上げ額となりました」
「この日は、チャーチルダウンズ競馬場だけでなく、
全米各地で“アレックスちゃんのレモネードスタンド”が立ったのですが、
その総売り上げは、1億円を超える、
大変な金額となったのです」
ケンタッキーダービーは3着に敗れたアレックスアフリートですが、
その後プリークネスS、ベルモントSといった
米3冠戦の残り2レースを4馬身4分の3差、7馬身差の圧勝で飾り、
2005年米最優秀3歳牡馬に選出されることになります。
米3歳牡馬チャンピオンのタイトルに加え、
アフリートアレックスは、もうひとつの勲章を得ます。
それは、小児ガン撲滅キャンペーンに対する多大な貢献が評価されて
馬主たちに贈られた、「エクリプス賞特別賞」のタイトルでした。
最後に、合田さんが、まとめてくれます。
「この“アレックスちゃんのレモネードスタンド”のエピソードは、
チャリティに対して極めて前向きな、
アメリカ人の美徳ともいうべき気質が、本当に、よく顕れていますよね」
(第11回に続く)
構成・文/関口隆哉
1959年東京生まれ。慶應中学時代から馬術部に所属するかたわら、千葉新田牧場で「乗り役」としてのアルバイトをこなす。慶應大学経済学部卒業後、1982年テレビ東京に入社。『土曜競馬中継』の制作に携る。1988年テレビ東京を退職し、内外の競馬に関する数多くの業務をこなす(有)リージェントの設立に参加。
現在は、『世界の競馬』(NHK-BS)、『鈴木淑子のレーシングワールド』(グリーンチャンネル)などのキャスターも務めている。