合田さんの心に深く残っている米3冠レースは?
そんな質問を投げかけたところ、
合田さんは、比較的最近の一戦をあげてくれました。
「バーバロが無敗で制した2006年のケンタッキーダービーは、
強烈な印象を与えてくれたレースでしたね」
前走でG1フロリダダービーを勝ち、
5戦5勝の戦績で、ケンタッキーダービーを迎えたバーバロは、
スタートで躓く不利がありながらも、
直線手前で早くも先頭に踊り出ました。
そして直線に入ると、後続を引き離すばかりの競馬で、
歴代5番目の着差となる、6馬身半差の圧勝を飾り、
“バラの戴冠”を成し遂げたのです。
「まさに、完璧な横綱相撲でした。
“これなら、3冠馬の誕生も確実だ!”
という想いを抱かせてくれたバーバロですが、
次走プリークネスSで、思いもかけぬ悲劇が待ち受けていた…」
単勝1.5倍の圧倒的な1番人気で、
プリークネスSに臨んだバーバロでしたが、
落ち着きを欠いたのか、
いきなりゲートを破ってフライングをおかしてしまいます。
そして、再スタートが切られ、
100mほど走ったスタンド前で競走を中止。
ピムリコ競馬場の入場者レコードとなった
11万8402人の大観衆の目前で、
バーバロは28年振りとなる3冠馬への道を、
完全に閉ざされたのです。
「その後8カ月以上に渡る
バーバロの闘病生活(2007年1月に安楽死処分が施される)も、
映画化の話が出るなど、十分にドラマチックなものでした。
それにしても、米3冠馬となるのは、いかに大変なのかを、
改めて思い知らされたプリークネスSではありました」
「まあ、1978年のアファームド以来、
米3冠馬が出ていないわけですから、
しょうがないのかもしれませんけど、
心に残る米3冠レースというと、
どうしても主役と目された馬が
敗北を喫した一戦が多くなりますよね」
ということで、
明日はリアルクワイエットが3冠達成目前で苦杯を嘗めた、
1998年米3冠戦線の話をお届けします。
(第12回に続く)
構成・文/関口隆哉
1959年東京生まれ。慶應中学時代から馬術部に所属するかたわら、千葉新田牧場で「乗り役」としてのアルバイトをこなす。慶應大学経済学部卒業後、1982年テレビ東京に入社。『土曜競馬中継』の制作に携る。1988年テレビ東京を退職し、内外の競馬に関する数多くの業務をこなす(有)リージェントの設立に参加。
現在は、『世界の競馬』(NHK-BS)、『鈴木淑子のレーシングワールド』(グリーンチャンネル)などのキャスターも務めている。