2004年の米3冠戦線の主役を張ったのは、
カナダ生まれの無名騎手
S・エリオットが手綱をとるスマーティジョーンズでした。
単勝1番人気での出走となったケンタッキーダービーを
2馬身4分の3差で快勝したスマーティジョーンズは、
続くプリークネスSで、11馬身半差の大差勝ちを記録。
8戦全勝の成績を引っさげて、
最終関門ベルモントSに挑むこととなりました。
「入厩が決まっていた厩舎の調教師さんが殺害されたり、
この馬自身、2歳時にゲートに頭をぶつけて瀕死の重傷を負ったりと、
スマーティジョーンズは、
ドラマチックなエピソードに彩られた馬でした。
主戦エリオット騎手だけでなく、
管理するJ・シャーヴィス調教師も無名の存在。
そんなところも受けたのか、
スマーティジョーンズの米での人気は、素晴らしいものがありました」
合田さんの言葉通り、
3冠がかかったベルモントS当日のベルモントパーク競馬場には、
国民的ニューヒーロー、スマーティジョーンズを応援するために、
入場者レコードとなる12万139人もの大観衆が押し寄せていました。
「プリークネスSの勝ちっぷりから、
スマーティジョーンズの地力が抜けていることは明白でした。
ところが、距離が12Fに延びたベルモントSでは、
前半に折り合いを欠いたことが、
ゴール前での踏ん張りを欠く原因となってしまった…」
ゴールまであと100mの地点で、
先頭を走っていたスマーティジョーンズが、
単勝37倍の伏兵バードストーンに交わされてしまいます。
結局、1馬身のリードを保ったバードストーンが優勝。
上位2頭が3着以下を大きく引き離す展開だっただけに、
スマーティジョーンズが、もう少し前半を上手に走っていれば、
26年振りの3冠馬誕生が現実のものとなって
いた可能性は十ニ分にありました。
「レース後、バードストーンに騎乗していたE・プラード騎手は、
勝利ジョッキーインタビューの冒頭で、こんな言葉を発したのです。
“満員のファンの皆様。みなさんの夢を壊してしまい、
本当に申し訳ありませんでした!”」
ちなみに、前々日に取り上げたバーバロの主戦騎手が、
このE・プラードでした。
因縁がさらなる因縁を呼ぶようにも見える、
悲喜こもごもの人間模様。
それもまた、米3冠レースの大いなる魅力となっているのです。
(第14回に続く)
構成・文/関口隆哉
1959年東京生まれ。慶應中学時代から馬術部に所属するかたわら、千葉新田牧場で「乗り役」としてのアルバイトをこなす。慶應大学経済学部卒業後、1982年テレビ東京に入社。『土曜競馬中継』の制作に携る。1988年テレビ東京を退職し、内外の競馬に関する数多くの業務をこなす(有)リージェントの設立に参加。
現在は、『世界の競馬』(NHK-BS)、『鈴木淑子のレーシングワールド』(グリーンチャンネル)などのキャスターも務めている。