1990年代に誕生した10頭の英ダービー馬のうち、
ジェネラス、ドクターデヴィアス、コマンダーインチーフ、
エルハーブ、ラムタラ、ハイライズ、オースと、
実に7頭までが、種牡馬として日本に導入されました。
もちろん、1980年代後半の競馬ブームに端を発した、
日本競馬界の好況が、その背景にあったことは間違いありませんが、
そのほかにも、2つの理由が英ダービー馬の輸入を促進したと、
合田さんは分析してくれました。
「まず、ダービー、オークス、ジャパンCと、
2400m戦の価値が高い日本では、
欧州最高峰の12F戦のひとつである英ダービーの勝ち馬に
大きな価値を見い出していたことは、確かですね」
「もうひとつ」と合田さんが続けます。
「年々、スピードが重視されてきていた欧州競馬のなかで、
エプソム競馬場の2400m戦という
苛酷な条件を勝ち抜いてきた英ダービー馬の種牡馬価値が、
段々落ちてきていた側面も無視できない。
つまり、英ダービー馬は、
日本人バイヤーにとって、買いやすい存在でもあったわけです」
「英ダービーは、高低差が45mもあるコースで争われる。
45mといえば、10階建てのビルの高さに匹敵します。
英ダービーを勝ち抜くには、スタミナとパワーが何より問われる。
現代競馬では、同じG1戦の勝ち馬なら、
マイルや10FのG1レースを勝った方が種牡馬になるときに有利なのは、
世界的な傾向でもありますしね」
コマンダーインチーフのような例外もありますが、
日本にやって来た1990年代の英ダービー馬たちの種牡馬成績は、
全体的に苦戦傾向が目立ちました。
「もちろん、英ダービー馬のなかには、
素晴らしいスピード能力を兼ね備えたタイプもいますが、
パワーとスタミナだけという馬も、いないわけではない。
日本に導入されて成功できなかった英ダービー馬が多いのも、
ある意味、必然だったのかもしれません」
明日は、種牡馬として対照的な状況に置かれている
ガリレオとシャーミットという2頭の英ダービー馬、
そして4年前に距離が短縮された仏ダービーの話をお届けします。
(第21回に続く)
構成・文/関口隆哉
1959年東京生まれ。慶應中学時代から馬術部に所属するかたわら、千葉新田牧場で「乗り役」としてのアルバイトをこなす。慶應大学経済学部卒業後、1982年テレビ東京に入社。『土曜競馬中継』の制作に携る。1988年テレビ東京を退職し、内外の競馬に関する数多くの業務をこなす(有)リージェントの設立に参加。
現在は、『世界の競馬』(NHK-BS)、『鈴木淑子のレーシングワールド』(グリーンチャンネル)などのキャスターも務めている。