京都芝2200mのコースレコードとなる
2分10秒2の快時計を叩き出し、
1995年のG1宝塚記念を制したダンツシアトル “Dantsu Seattle” は、
米で行われるバレッツセールで競り落とされた外国産馬でした。
バブル景気や空前の “競馬ブーム” が後押しをし、
1990年代前半は、数多くの日本人バイヤーが
海外セールに、積極的に参加していた時期。
宝塚記念馬となったダンツシアトルは、
セールで購買された外国産馬の代表的成功例にもなったのです。
ダンツシアトルという馬名は、
冠語に父シアトルスルー “Seattle Slew” の一部が加わったもの。
シアトルスルーは、競走馬として1977年の米3冠馬に輝き、
種牡馬として北米リーディングサイアーを獲得した歴史的な名馬ですが、
その馬名は、共同馬主だった材木商のテイラー夫妻が住む
ワシントン州の州都 「シアトル」 と、
獣医師のヒル夫妻の出身地である
フロリダ州に多い 「スルー(沼や湖を指す言葉)」 を
ミックスさせて出来上がったものでした。
ちなみに、テイラー夫妻とヒル夫妻は、
ケンタッキー州キーンランドのホテルで偶然知り合い意気投合、
そのままセリ市に出向き、後の超大物シアトルスルーを
当時のレートで約490万円という安価で購入する、
とてつもない幸運に恵まれた人々だったのです。
父シアトルスルー同様、セリ市で購買されたところから、
競走馬としてのサクセスストーリーを紡いでいったダンツシアトルですが、
現役引退後も、父同様、種牡馬入りを果たしています。
日本軽種馬協会九州種馬場でも、供用されたダンツシアトルは、
OP特別中山新春ジャンプSを制した障害戦線の活躍馬バルトフォンテン、
ともに 「九州産馬の天皇賞」 と称される
霧島賞(現在は公営荒尾で開催)を勝ったカシノコールミー、
ベルガモットシールらの産駒を送り出しています。
ちなみに、霧島賞を制した仔供たちは、いずれも牝駒。
この牝駒の活躍は、ダンツシアトルのほかにも、
仏G1馬スマッグリー “Smuggly”、
G1伊オークス2着馬のアスル “Asl” を産んだ名繁殖牝馬である
母コールミーガッデス “Call me Goddess” の馬名に
由来しているのかもしれません。
日本語に訳せば “わたしを女神とお呼び!”。
この押しの強さが、
ダンツシアトル牝駒の勝負強さに繋がっている気がしてならないのです。
(次回は6月29日の水曜日にお届けします) 構成・文/関口隆哉