「 “ワイハ” で “パツキン” の “チャンネー” ナンパして、“シーメクーイー” !」
(ハワイで金髪の女性を誘ってご飯を食べに行こう!)
さすがに、こんな言葉を発する人を、実際に見たことはありませんが、
ハワイを “ワイハ” 、金髪を “パツキン” と
逆さまにして言う ( “倒語” という言い方もされます) のは、
芸能関係者の業界用語とされています。
戦後のジャズバンドブームのなかで、ミュージシャンたちが使っていた
“ズージャ語” が、この芸能界用語のルーツと考えられていますが、
すでに徳川幕府時代の江戸っ子たちが、
煙管 (きせる) を “セルキ” と言い換えるなど、
倒語の歴史は、かなり古いものでもあるようです。
1971年に天皇賞・秋と有馬記念を制した女傑トウメイの馬名は、
前述の倒語によって付けられたものです。
本来は、メイトウ (銘刀) と名付けるつもりだったのですが、
この馬名が使用できず、
“メイトウ” を引っくり返して、“トウメイ” としたのが、
その由来となりました。
さて、女傑トウメイは、なかなかに波乱万丈なサラブレッドでした。
小柄で見栄えが悪かったことから、牧場時代のニックネームは 「ネズミ」 。
庭先取引では買い手がつかず、セリ市に出たものの、
平均落札価格の半値ほどで、やっと売却されることになります。
当初は大井競馬場に入厩する予定が、管理する調教師が亡くなり、
急遽、中央競馬の清水茂次調教師が面倒を見ることに。
非エリートでありながら、その競走能力は素晴らしく、
3歳時の桜花賞、オークスでは、ともに1番人気に推されますが、
2、3着に惜敗し、クラシックホースの仲間入りは果たせませんでした。
4歳新春に、この馬を拾ってくれた清水師が急逝、
その後は坂田正行厩舎に移籍して、現役を続行します。
そして5歳秋に、天皇賞・秋と有馬記念を連覇。
ちなみに、1971年有馬記念は、
馬流感の影響で、史上最少となる6頭立てで争われました。
繁殖牝馬となってからは、1978年天皇賞・秋に勝ったテンメイを輩出。
現在に到るまで、母仔で天皇賞を制したのは、
トウメイ、テンメイ母仔だけという歴史的快挙を達成したのです。
1997年4月に、トウメイは天国へと旅立ったのですが、
そのとき31歳という、非常に長命の馬でもありました。
2010年中央競馬の棹尾を飾るG1有馬記念には、
トウメイ以来となる、牝馬による天皇賞・秋、有馬記念制覇を目指す
ブエナビスタが、大本命馬として出走を予定しています。
有馬記念で馬券を的中させ、
「 “ザギン” で “シースー” 」 (銀座で鮨) と行きますかぁ!
(次回は12月29日の水曜日にお届けします) 構成・文/関口隆哉