室町から戦国時代にかけて、越前を治めていた大名が朝倉氏。
その9代目当主である朝倉貞景から孝景、義景と
3代に渡る主君に仕えた名臣に、朝倉宗滴という人物がいます。
朝倉宗滴は、軍略、政治能力の双方に優れ、
乱世における、越前朝倉家の地位を大いに高めました。
また、人を見る眼の確かさにも定評があり、
尾張の国で台頭してきた若き織田信長を、
「もう少し長生きをして、その行く末を見届けたい人物」 と、
とても高く評価していたのです。
しかし、宗滴の死後、朝倉義景は織田信長との対立を深め、
最後は、“一乗寺の戦い” に敗れ、朝倉家は滅亡のときを迎えます。
名臣としてだけでなく、朝倉宗滴には、もうひとつの顔がありました。
それは、当時の日本に限らず、世界中を見渡しても、
誰も成し遂げていなかった、オオタカの繁殖に成功したことです。
オオタカは、当時の公家や武将の間で盛んだった
“鷹狩り” に用いられる、貴重な動物。
ウサギなどの小動物を捕捉し、それを飼い主の元へ運んでくる鷹狩りは、
オオタカが持つ優れた学習能力を活かした狩猟の一種ですが、
戦国時代から数えて1300年も前となる日本書記の時代から、
日本の支配階級は、この優雅かつ勇猛な遊びが大好きだったのです。
それだけに、朝倉宗滴によるオオタカの繁殖成功は、越前朝倉家の名を、
日本中の公家、大名に広める役割も果たしたと思われます。
2007年のG1朝日杯FSを逃げ切って勝利した
ゴスホークケン (Goshawk Ken) の馬名にある “ゴスホーク” は、
前述のオオタカの英名ということになります。
8分の1という、厳しい抽選を勝ち抜いて朝日杯FSに出走した
ゴスホークケンですが、
持ち前のスピードと早熟性を遺憾なく発揮しての勝利は、
まさに狙った獲物は絶対に逃さない、
“オオタカ” という馬名通りのものでした。
さて、馬名ゴスホークケンの “ケン” の部分ですが、
当初は、てっきり人名の 「ケン」 だと思っていました。
例えば、名優高倉 “健” や
クレイジーケンバンドのリーダーである横山 “剣” などの
有名人をイメージしているとか、
馬主である藤田与志男氏のご家族や友人に、
「ケン」 という名前を持った方がいるとか、
そういうことかなと捉えていたのです。
ところが、この 「ケン」 は、“犬=ケン” を指す言葉だったのです。
「オオタカと犬」 。まあ、どちらも人間の狩りに駆り出されることでは、
共通しているのですが・・・。
(次回は12月22日の水曜日にお届けします) 構成・文/関口隆哉