1987年の3歳牝馬戦線で、最後の最後に大きな仕事を成し遂げた、
馬体重410キロ台の小柄で可憐な競走馬がいました。
その名前はタレンティドガール (Talented Girl)。
日本語に訳せば、「才能豊かな少女」 ということになります。
タレンティドガールの父は、ダービー馬オペックホース、
ともにオークスを制したアグネスレディー、テンモンを送り出した、
名種牡馬リマンド、
母系は5冠馬シンザン、ダービー、菊花賞を制したタケホープら、
数多くの強豪馬を輩出したことで知られる、
日本きっての名門ビューチフルドリーマー系、
加えて、1歳上の半兄に、当時スター街道を驀進しつつあった
ニッポーテイオーがいる華麗なる血脈からすれば、
タレンティドガールという馬名は、付けられるべくして、
付けられたもののようにも思えたのです。
ところが、3歳1月に競走馬デビューしたタレンティドガールは、
勝ち上がるまでに3戦を要したり、
初重賞挑戦となったG3フラワーCで11着に大敗したりと、
馬名に相応しい走りを、なかなか見せることができませんでした。
やっと、その才能の一端を示したのが、
11番人気で3着したG1オークス。
とはいうものの、牝馬2冠馬に輝いたマックスビューティからは、
2馬身半差以上の差を付けられ、
両馬の実力の違いは、誰の目からも明らかだったのです。
3歳秋を迎えたタレンティドガールが、その才能の全貌を明らかにしたのは、
G3クイーンSを3着してから臨んだG1エリザベス女王杯でした。
1987年当時、3歳牝馬限定戦だったG1エリザベス女王杯は、
マックスビューティが前年のメジロラモーヌに続く、
牝馬3冠を達成するか否かが最大の焦点となっていて、
4番人気のタレンティドガールは、
それを阻止する可能性が少しだけある、
伏兵の一頭に数えられていたのです。
直線、先に抜け出しを図るマックスビューティを、
アッという間に追い抜き、完全に置き去りにしてしまった馬がいました。
春シーズンには、大きな差を付けられていたタレンティドガールです。
その末脚の切れ味は、
“才能豊かな少女” の馬名に相応しい、鮮烈で煌びやかなものでした。
そして、タレンティドガールがエリザベス女王杯を制した前後に、
半兄ニッポーテイオーも、
天皇賞・秋、マイルCSとG1競走連覇を達成しています。
それは、妹想いのお兄ちゃんが、
妹を激励しているようでも、その快挙を祝福しているようでもあり、
サラブレッドが持つ血の不思議を、改めて感じさせてくれたのです。
(次回は11月17日の水曜日にお届けします) 構成・文/関口隆哉