馬名ミュージアム カタカナで9文字以内アルファベットで18文字以内と定められている競走馬たちの名前。この短い言葉のなかにその馬に関わる人々の希望や祈り、そして、いにしえのホースマンが紡いできた物語を感じとることができるのです。

バックナンバー

第96回
1990年代に誕生した、同じ冠名を持つ3頭のローズS馬
第95回
名前とお騒がせで共通する、女性ロック歌手と一流短距離馬
第94回
その名の由来の如く、競走馬人生を高速で駆け抜けた名牝
第93回
馬名とは印象が違う、堂々たる競走馬人生を歩んだ不屈の名馬
第92回
馬名通りの 「ワクワク感」 をファンに与えた、歴史的な名牝
第91回
名牝一族の馬名は、ステキ路線をまっすぐに進む!
第90回
小粋でオシャレな洋風一族から誕生した、純和風の重賞馬
第89回
悲恋物語の傑作が深く関わった、「恋わずらいのブルース」
第88回
「恋のため王位を捨てた公爵」が馬名のルーツとなった超名血
第87回
圧倒的速さで短距離重賞を制した「沖縄の美しい人」
第86回
対照的な馬名を持つ、2頭の仏調教英ダービー馬
第85回
米の超一流調教師の名を冠した英のスーパーマイラー
第85回
セリ市からチャンスを掴んだ米三冠馬と日本G1馬の親仔
第83回
金細工師の作品を連想させる、新ダービー馬の佇まい
第82回
日本のオークスで大輪の花を咲かせた、「アイルランドの宮廷」
第81回
「北へ飛ぶ」 マイルの女帝と、「不似合いな役柄」 を演じた息仔
第80回
世界に大きな影響を与える組織の名が付けられたダービー馬
第79回
勝負事の真理を見せた、日本競馬史に残る「究極の美女」
第78回
"西の風" の父と "南東の風" の息仔を持つ重賞2勝の名牝
第77回
探し物をしながら成功を得た、父と娘と娘の息仔
第76回
2歳時に活躍した、「大忙しの人生」 という名を持つ短距離馬
第75回
「賭場の女主人」を母に持つ「正真正銘の」名馬
第74回
ジャズ界の巨人の如き競走生活を目指す、若き去勢馬
第73回
山河より流れ出で、大洋へと繋がった2頭の桜花賞馬
第72回
旧約聖書に登場する怪力の士師が宿ったG1戦4勝の名馬
第71回
勝負への鋭い臭覚を持つ、競馬世界のストライカー
第70回
「人」である父の悲願を「神」である娘が達成か!?
第69回
桜花賞を快勝した 「泥まみれの金襴緞子」
第68回
皇帝の座に昇り詰めた、「犯罪王」
第67回
太陽のような輝きを放つ「抽せん馬の星」
第66回
あやとり「猫のゆりかご」を馬名にした、日本G1馬のいとこ
第65回
世界的名曲を馬名とした名牝が、2月14日に産んだ娘の名は!?
第64回
有名戦国大名と世界的名種牡馬の意外な関係とは?
第63回
南国土佐で馬名通りの走り示した、ダート短距離戦線の星
第62回
孫娘たちに託された、夏場の快進撃
第61回
馬名から受ける印象を覆した、地に足が着いた名牝
第60回
シブいTVドラマから名付けられた、1976年最優秀古牡馬
第59回
多くの国々を旅した気分を味わえる、個性派G2馬とその兄弟
第58回
倒語で馬名が付いた、1970年代初頭の歴史的名牝
第57回
"鷹" と "犬" が融合した2007年最優秀2歳牡馬
第56回
馬名通りに競馬ファンの "裏をかいた"、マイル戦得意な名牝
第55回
日本でG1を制した、ロンドンのストリート名が付いたアメリカ馬
第54回
世界レコードを樹立した女傑の名は、子供向けの飲み物
第53回
競馬世界の "太陽神" が持つ、複雑な性格
第52回
豊かな才能を全開にした妹を祝福する兄の快走
第51回
爽やかなカクテル名を持つ牝馬に求められるもの
第50回
母系3代に伝わる人名を馬名に戴いた天皇賞馬
第49回
絶対王者の名を冠した菊花賞馬が示した、最高の輝き
第48回
「胡蝶蘭」、「花金鳳花」 という馬名を持つ、華やかな母娘
第47回
インカ帝国の "祝祭" を現代日本に甦らせた一流中距離馬
第49回 絶対王者の名を冠した菊花賞馬が示した、最高の輝き

1970年代の半ば、日本ボクシング界に、
とんでもない才能を持った新進気鋭が現れました。
その名を具志堅用高。沖縄の石垣島に生まれた、この小柄なボクサーは、
高い運動能力を活かしたラッシュ戦法を武器に、
デビュー9戦目にして、WBAジュニアフライ級王座を獲得、
瞬く間にスターダムへと昇り詰めていったのです。

22歳の若きチャンピオン具志堅用高が、
王座防衛記録を積み重ねていた1977年、
その名を馬名の由来とする一頭のサラブレッドがデビューします。
冠名に、具志堅の名が加わった、インターグシケンが、その馬。
6月札幌の新馬戦でデビュー勝ちを飾ったインターグシケンは、
関西のホープとして期待を集めることになったのですが、
デイリー杯3歳S、阪神3歳S (いずれも当時のレース名) を続けて
2着に惜敗するなど、KO勝利を重ねる本家、具志堅用高のようには、
スカっと行かなかったのです。

3歳2月のきさらぎ賞で重賞初制覇を飾り、
春のクラシックレースに挑んだインターグシケン。
しかし、皐月賞は、追い込んで届かずファンタストの2着、
ダービーでは直線で伸びず、サクラショウリの6着と、
やはりビッグタイトルには縁がないままでした。
そして3歳秋、ついにインターグシケンは、
具志堅用高と肩を並べるチャンプの座に就きます。
具志堅が日本記録を更新する
5連続KO防衛を成し遂げた後に行われた菊花賞で、
見事、3分6秒2のレコード勝利を飾ったのです。

菊花賞で示した、スケールの大きなレース振りから、
古馬になってからのインターグシケンは、本家、具志堅用高のような、
絶対的なチャンピオンになることも期待されていました。
ところが、4歳緒戦の金杯 (西) に勝利した後、
脚部不安を発症したインターグシケンは、長期休養を余儀なくされます。
その後、競走に復帰したものの、失った輝きは取り戻せず、
1979年暮れの有馬記念で、
グリーングラスの13着に大敗したのを最後に現役を退きました。
結局のところ、インターグシケンは、
3年半に渡り王座を守り、日本最多記録となる13度の防衛を果たした
具志堅用高のようには、なれませんでした。
それでも、菊花賞で示した競走馬インターグシケンの輝きは、
具志堅用高が放つフィニッシュブローのように、
後世に語る継がれるべきものだったのです。

(次回は10月27日の水曜日にお届けします)  構成・文/関口隆哉