「20世紀後半を代表する大種牡馬」 ノーザンダンサー (Northern Dancer)。
その有力な後継種牡馬のなかには、“北の踊り子” という父の名にちなみ、
ロシア帝国やソビエト連邦を生まれ故郷とする
実在のダンサーの名を冠したサラブレッドが数多く存在しています。
代表的なところでは、1890年にロシア帝国で生まれた、
伝説の天才ダンサー、ヴァーツラフ・ニジンスキーの名をとった
英3冠馬にして英愛首位種牡馬であるニジンスキー (Nijinsky) 、
ソビエト連邦から亡命し、英のロイヤル・バレエ団で踊り続けた
ルドルフ・ヌレイエフを馬名の由来とする
仏リーディングサイアー、ヌレイエフ (Nureyev) が、
前述の馬名パターンに当てはまる後継サイアーとなります。
もう一頭、実在の有名ダンサーから、その馬名が付けられたのが、
セルジュ・リファールの名をとった、
仏米の両国で、リーディングサイアーを獲得した
リファール (Lyphard) です。
セルジュ・リファールは1905年、当時はロシア帝国領だった、
ウクライナの首都キエフで生を受けました。
少年時代のリファールに、ダンスのレッスンを施したのが、
ヴァーツラフ・ニジンスキーの実妹で、
やはり高名なダンサーであり振付師であるブロニスラヴァ・ニジンスカ。
このともに世界的ダンサーであるニジンスキーとリファールの結び付きは、
競馬ファンにとって、
競走馬、種牡馬として先輩、後輩となるニジンスキーとリファールの関係を、
どこか象徴しているようにも思えてくるのです。
18歳でロシア・バレエ団に入ったリファールは、
花形ダンサーとして大活躍。
ロシア・バレエ団の創設者で、ヨーロッパ・バレエ界の大立者である
セルゲイ・ディアギレフの厚い信頼を得ます。
ちなみに、ディアギレフは、
かつてニジンスキーと同姓の恋人関係にあった人物。
ここでも、リファールはニジンスキーと浅からぬ因縁を持つわけです。
その後、パリ・オペラ座バレエ団に移籍したリファールは、
首席ダンサーや舞台監督に選ばれ、長く活躍を示します。
この点においては、精神を病んでしまい、
30歳以降は舞台に立つことが叶わなかったニジンスキーとは
対照的なバレエ人生でもありました。
81歳となった1986年に、この世を去ったダンサーのリファール。
競走馬リファールは、馬名の由来となった
偉大なるダンサー以上の長生きをして、
サラブレッドとしては異例ともいえる
36歳 (人間の年齢なら100歳以上) の長寿を全うしたのです。
(次回は9月8日の水曜日にお届けします) 構成・文/関口隆哉