優れた短編小説に贈られる、アメリカの文学賞に、
オー・ヘンリー賞というものがあります。
弱冠19歳のときに発表した短編 『ミリアム』 が、
この権威あるオー・ヘンリー賞を受賞した、
トルーマン・カポーティ (Truman Capote) の登場は、
アメリカ文壇に、とても大きな衝撃を与えました。
そして、 「アンファン・テリブル (恐るべき子供)」 という
異名を与えられたカポーティは、23歳のときに傑作の誉れ高い
初の長編小説 『遠い声 遠い部屋』 を著し、
若き天才作家として、その名声を確かなものとしたのです。
1984年に米で生まれた、競走馬カポーティ (Capote) も、
馬名の由来となった人気作家同様、早熟の天才タイプでした。
デビュー40日後に臨んだノーフォークSでG1初制覇を飾ると、
続くG1ブリーダーズCジュヴナイルでも、
アリシーバ、ベットトワイス、ガルチといった
後のビッグネームたちを寄せ付けずに快勝。
文句なしで1986年全米2歳牡馬チャンピオンにも選出されました。
しかし、3歳になってからのカポーティは、
G1ケンタッキーダービーの競走中止を含め、6戦全敗。
結局、2歳時の輝きを取り戻せないまま、現役を退くことになりました。
米で種牡馬となったカポーティは、父としても、
自らの現役時代の個性を貫き通します。
G1ブリーダーズCジュヴナイルを制し、
親仔二代の米2歳牡馬王者に輝いたボストンハーバー、
ともに米2歳G1を勝ったエジンコート、マティジー、
2歳夏にG3函館3歳Sを勝利したダンツダンサーなど、
カポーティの代表産駒には、2歳時が競走生活のピークとなる、
早熟のスピード馬が、とにかく目立つのです。
一方、作家カポーティは、オードリー・ヘップバーン主演で映画化された
『ティファニーで朝食を (1958年)』、
実際に起きた殺人事件を題材としたノンフィクション小説 『冷血 (1966年)』
という大ヒット作を30歳代、40歳代のときに発表します。
とはいえ、40歳代半ばから59歳で亡くなるまで、
アルコールと薬物中毒で苦しめられたカポーティの晩年は、
決して幸福なものではありませんでした。
おそらく、あまりに若い時分から大成功を収めてしまったことが、
その後の作家カポーティに多大なプレッシャーを与え続け、
結局は、酒とクスリに溺れる生活に繋がったのでしょう。
作家カポーティが死亡した1984年に、
この世に生を受けた競走馬カポーティ。
その人生と馬生は、奇妙と思えるほどに重なってくるのです。
(次回は9月1日の水曜日にお届けします) 構成・文/関口隆哉