1970年代に入り、やや低迷期を迎えていた、
米のロックンロールシーンに新風を吹き込んだのが、
1975年に出世作 “Born to Run” (邦題 『明日なき暴走』 ) を発表した、
ブルース・スプリングスティ-ンでした。
1980年には、全米ナンバー1ヒットとなった2枚組の傑作
“The River ( 『ザ・リバー』 )” を世に問うた
ブルース・スプリンスティーンは、
「彼こそがロックンロールの未来」 という評判に違わぬ大活躍を示し、
瞬く間に、アメリカ音楽界における確固たる地位を築いたのです。
そのブルース・スプリングスティーンが、1984年に発売した
大ヒットアルバムが “Born in the U.S.A ( 『ボーン・イン・ザ・U.S.A 』 )”。
そして、全米で1,200万枚を売り切った、このアルバムから、
最初にシングルカットされたのが、
“Dancing in the Dark (ダンシン・イン・ザ・ダーク)” という曲です。
軽快で乗りのいいメロディーラインとは裏腹の、
やり場のない若者の苦悩を歌い上げた 「ダンシン・イン・ザ・ダーク」 は、
全米ヒットチャートで4週連続2位を記録する大ヒット曲となりました。
1996年牡馬クラシック戦線をリードした一頭である、
ダンスインザダークの馬名を、初めて目にしたとき、
最初に思い浮かんだのが、
前述のブルース・スプリングスティ-ンのヒット曲でした。
そして、「ダンシン」 のままでは、9文字以内という馬名規定を
オーバーしてしまうから、「ダンス」 に変えたのだな、というのが、
ダンスインザダークの馬名の由来に関する、個人的な解釈だったのです。
さらに、ブルースの 「ダンシン・イン・ザ・ダーク」 は、
ヒットチャートで4週連続2位だったのだから、
ダンスインザダークもG1レースで4戦連続2着するのでは、
という勝手な推論も立てたのですが、
こちらの説は、ダービーこそ、その通りだったものの、
G1競走2戦目である菊花賞を
ダンスインザダークが鮮やかに勝利したことで、
あっけなく崩れ去ったのでした。
さて、ダンスインザダークの馬名の由来を調べると、
「母ダンシングキイの名と、自身の黒味がかった馬体との連想から」 と
出ていて、ブルース・スプリングスティーンの名曲のことは、
特に触れられていません。
とはいえ、種牡馬となったダンスインザダークからは、
日本でG1菊花賞、豪でG1メルボルンCを制した、
デルタブルースという代表産駒が出ています。
デルタブルースとは、ミシシッピ河口のデルタ地帯を発祥とする
ブルース・ミュージックを指す音楽用語。
ギターとハーモニカを演奏しながら歌われることが多い
デルタブルースですが、
これは1982年に発表されたアルバム “Nebraska ( 『ネブラスカ』 )” で、
ブルース・スプリングスティーンが用いた演奏スタイルそのものなのです。
やはり、日本の名馬ダンスインザダークと
いまや米音楽界の “ボス” と呼ばれる、ブルース・スプリングスティーンは、
因縁の糸で結ばれていたわけです!
(次回は8月25日の水曜日にお届けします) 構成・文/関口隆哉