紀元前8世紀、古代ギリシャに登場した盲目の作家ホメロスは、
『イーリアス』 、 『オデュッセイア』 という、
二大傑作叙事詩を後世に残しました。
そのうちのひとつ『イーリアス』で描かれるトロイの英雄が、
ヘクトール、英語表記に直すと“ヘクター(Hector)”です。
2010年5月12日に、惜しくも、この世を去った
超一流競走馬にして名種牡馬である
ヘクタープロテクター (Hector Protector) の馬名は、
前述の古代ギリシャ神話の英雄に由来すると言われています。
“Protector” は、「保護者、守る者」 といった意味ですから、
ヘクタープロテクターを日本語に訳すと、
「守護を為す者、ヘクター」 という感じになるかと思います。
同時期に大成功を収めた種牡馬に、サンデーサイレンス、
ブライアンズタイム、トニービンの 「3強」 がいたこともあり、
いまひとつ印象が地味なヘクタープロテクターですが、
「3強」 に先駆けて、日本競馬史に残る偉業を成し遂げています。
それは、日本生まれの産駒が、史上初めて海外G1競走を制したということ。
1995年に北海道早来のノーザンファームで誕生した
父ヘクタープロテクターの牡駒シーヴァが、
英の名門H・セシル厩舎から競走馬デビューし、
4歳となった1999年に、英G1タタソールズゴールドCで、
見事な勝利を飾ったのです。
このシーヴァ (Shiva) という馬名は、ヒンドゥ教の3大神のひとりで、
破壊を司るシヴァ神の英語表記からきています。
シヴァ神は、古代インドのヴェーダ神話に、その前身が登場しますから、
父ヘクタープロテクターとは 「神話繋がり」 ということになります。
また、シーヴァの1歳上の全兄で、
仏G2フォア賞を制したリムノス (Limnos) も、同じく日本で生まれた馬。
こちらの馬名は、エーゲ海北部に位置する
ギリシャ領リムノス島に由来していて、
父ヘクタープロテクターとは 「ギリシャ繋がり」 となっています。
さて、“ヘクター (Hector) ” という英単語には、
「いばりちらす人、弱いものいじめをする人」 という、
良くない意味もあります。
もしかしたら、6戦全勝で欧州2歳牡馬王者に輝き、
3歳になったG1仏2000ギニーで
連勝記録を 「8」 に伸ばした時期の若きヘクタープロテクターは、
他人 (他馬) の痛みが分からない、嫌なヤツだったのかもしれません。
しかし、種牡馬として日本生産界の縁の下の力持ち的な役割を担ったことで、
中年以降のヘクタープロテクターは、
深くて味わいのある佇まいを見せていたようにも思えます。
23歳で、この世に別れを告げたヘクタープロテクター。
今後は残された産駒たちの 「守護神」 として、
その活躍を天の上から見守ってくれることでしょう。
(次回は6月16日の水曜日にお届けします) 構成・文/関口隆哉