鋭い爪と嘴(くちばし)を武器に、動物や昆虫を捕食する、
鷹の仲間(タカ目)に、ミサゴという鳥がいます。
日本でも、冬場の西日本地方で、よく見られるミサゴは、
海岸や河口などを住処とし、魚や貝類を、その主食としています。
こういった習性から、英名で “Osprey” と呼ばれるミサゴには、
“Sea Hawk(シーホーク)” という異名が与えられているのです。
1974年に種牡馬として日本に導入されたシーホークは、
タカ目の鳥であるミサゴを、その馬名の由来としています。
そして、ともに天皇賞・春を制した
モンテプリンス、モンテファストの全兄弟、
1989年の日本ダービー馬ウイナーズサークル、
続く1990年に、やはり日本ダービーを制したアイネスフウジンといった
日本でのシーホークの代表産駒たちも、
父の馬名の通りに、狙った大レースは逃さない、
たくましさや貪欲さを備えていました。
冠語に 「王子=Prince」 、「速い=Fast」 という英単語が加わった、
モンテプリンス、モンテファスト、
勝ち馬の表彰式を行なう場所を指す競馬用語を馬名とした
ウイナーズサークル (Winner’s Circle) に関しては、
父シーホークとは、あまり関連性のない馬名の持ち主でしたが、
冠語に、風を司る神様 「風神」 が付いたアイネスフウジンについては、
上空から風を切って獲物を狙う猛禽類ミサゴの姿を
連想させるものがありました。
そのせいかどうかは分かりませんが、
帝王賞、東京大賞典などを制した 「ダートの女王」 ファストフレンド、
短距離オープン戦線で大活躍したイサミサクラといった産駒を出した
アイネスフウジンは、日本におけるシーホーク直仔のなかでも、
もっとも成功した後継種牡馬となったのです。
さて、アイネスフウジンと同馬主、同厩舎、同世代の競走馬に、
アイネスライジンという牡駒がいました。
もちろん馬名の由来は、風神と対を成す 「雷神」 から来ています。
アイネスフウジンに引けを取らない素質馬と、
厩舎内では評価されていたアイネスライジンですが、
脚部不安にも泣かされ、
6戦して未勝利という競走成績に終わってしまいました。
ちなみに、アイネスライジンの父はイエローゴッド (Yellow God)。
「神」 繋がりの縁起が良い馬名の持ち主でもあったのですが、
アイネスフウジンとともに、競馬世界の
『風神雷神図』 (室町時代末期に俵屋宗達が描いた屏風画、国宝) を
完成することは叶わなかったのです。
(次回は6月2日の水曜日にお届けします) 構成・文/関口隆哉