首都ワシントンD.C.に隣接するメリーランド州は、
アメリカ合衆国最古の州のひとつです。
第2次世界大戦が終結して、数年が経った時期、
この地で、ひとりの男とひとりの女が運命的な出会いを果たしました。
男はポリネシア諸島からやって来たダンサー。
女は、日本で生まれた元芸者。
メリーランド州に位置するアンドリュース空軍基地の
将校クラブで働いていたふたりは、
ごく自然に恋に落ち、いつしか生活をともにすることになったのです。
1949年の春、日本で生まれた元芸者は、
ポリネシアからやって来たダンサーの子を身ごもります。
翌1950年3月、ふたりの間に生まれた男の子は、
ネイティヴダンサー(Native Dancer)という名を与えられます。
故国を捨て、合衆国に流れ着いた男と女は、
愛息がアメリカ社会で成功することを願って、
「母国に根ざした踊り子」 という名前を付けたのです…。
もちろん、このエピソードは、
1950年代の米競馬界の大スター、ネイティヴダンサーの
父と母の名から連想した架空の話です。
ネイティヴダンサーの父は、ポリネシアン(Polynesian= “ポリネシアの人” )
母は、ゲイシャ(Geisha= “芸者” )。
そして生まれたのは、メリーランド州に属するサガモア牧場でした。
架空のストーリーでは、
ネイティヴダンサーを 「母国に根ざした踊り子」 と訳しましたが、
本当は、白人の立場から非白人の人々を指す
「原住民の踊り子」 という、
いささか差別的な意味合いを持つ馬名でもあるのです。
ただし、冒頭のエピソードにある父母の願い通り、
ネイティヴダンサーは、競走馬としてアメリカ社会で大成功を収めます。
当時、アメリカの家庭に普及していたモノクロテレビの競馬中継を通じて、
幅広い大衆の認知を得たネイティヴダンサーは、
プリークネスS、ベルモントS制覇を含む
22戦21勝という圧倒的な好成績を収め、
「灰色の幽霊」 という尊称で呼ばれるようになりました。
偉大なるネイティヴダンサーの直系の孫にあたるのが、
日本の “国民的アイドルホース” 、オグリキャップです。
公営笠松から中央競馬に移籍し、無敵の快進撃を続けていた当時、
オグリキャップの強さの秘密を、
「祖父ネイティヴダンサーからの隔世遺伝」 に求める専門家も、
少なからず存在していました。
ネイティヴダンサーと同じ芦毛馬であるオグリキャップは、
種牡馬として大物産駒を得ることはできませんでしたが、
母父として入った競走馬から、
自身を、そして祖父ネイティヴダンサーを彷彿とさせるような
「芦毛の怪物」 を送り出す可能性は、決して皆無ではないはずです。
(次回は5月26日の水曜日にお届けします) 構成・文/関口隆哉