ベトナム戦争が激化していた1967年春、
「同胞であるベトナム人を殺すことはできない」 という理由で、
良心的兵役拒否を宣言した世界ヘビー級チャンピオンがいました。
そのボクサーの名は、モアメド・アリ。
しかし、南北戦争の時代から、良心的兵役拒否を認めてきたはずの
アメリカ合衆国政府は、
この黒人のイスラム教徒の兵役拒否宣言に
激しい拒絶反応を示したのです。
第一審で、禁固5年と罰金1万ドルを科せられたアリは、
保持していた世界ヘビー級タイトルを剥奪されるとともに、
ボクサーライセンスをも失うことになります。
その後アリは、アメリカ政府を相手に長い、長い法廷闘争に臨みます。
ボクサーライセンスを取り戻し、
リングにカムバックしたのは、1970年10月。
さらに、1971年7月に合衆国最高裁で無罪を勝ち獲ったアリは、
やっと、本業であるボクシングに専念することができたのです。
しかし、ボクサーとして、もっとも脂がのっていたはずの、
25歳から28歳にかけての時期にブランクを作ってしまったアリは、
「蝶のように舞い、蜂のように刺す」 と形容された、
かつての華麗なボクシングスタイルを
完全には取り戻すことができませんでした。
カムバック後、2度の敗戦を味わったアリが、
無敗の世界ヘビー王者ジョージ・フォアマンに挑戦したのは、1974年10月。
タイトルを剥奪されてから、すでに7年の歳月が経過していました。
当時、フォアマンは25歳、一方のアリは、すでに32歳。
当然、戦前の予想は、圧倒的にフォアマンが有利でした。
ところが、奇跡が起きます。
強打をいなしながら、なんとか前半戦を凌ぎ切ったアリが、
スタミナ切れを起こしかけた王者フォアマンに、
突如反撃の牙をむいたのです。
8R、モハメド・アリの連打をまともに喰らったフォアマンは、
もんどり打ってダウンし、そのまま起き上がってきませんでした。
このアリがフォアマンを倒したタイトルマッチは、
試合が開催されたアフリカの都市名に因み、
「キンシャサの奇跡」 と呼ばれています。
そう、2010年3月にG1高松宮記念を制したキンシャサノキセキは、
この世界的ビッグマッチが馬名の由来となっているのです。
そして、7歳で初G1タイトルを獲得したキンシャサノキセキの競走人生は、
タイトルを取り戻すために7年の歳月を費やしたアリの軌跡と、
重なっているようにも感じられるのです。
フォアマンから王座を奪回したアリは、
その後10回連続でタイトル防衛に成功しました。
今後の競走馬キンシャノキセキも、偉大なるモハメド・アリに倣い、
さらに重賞タイトルを積み重ねることを期待したいと思います。
(次回は4月14日の水曜日にお届けします) 構成・文/関口隆哉