1970年代後半、日本リング界を席捲した
“ビューティ (Beauty)” たちがいました。
それは、全日本女子プロレスに所属し、
WWWA世界タック王座に君臨していた、
ジャッキー佐藤、上田マキという二人のレスラーのコンビ、
“ビューティ・ペア (Beauty Pair)” です。
ヒールである“ブラック・ペア (池下ユミ&阿蘇しのぶorマミ熊野)” と、
数々の名勝負を繰り広げたビューティ・ペアの人気は本当に凄まじく、
“全女” の会場はいつも超満員。
ブームのピークに発売された、
彼女たちが歌い踊る 『かけめぐる青春』 は、
80万枚の売上げを記録する大ヒットとなったのです。
正直、当時の10代の男子の大半は、
ビューティ・ペアに関して、「本当にビューティ (美人) かぁ?」
という疑念を持っていたかとも思いますが、
この大ブームを支えた、ティーンエージャーの女の子たちにとって、
ビューティ・ペアは、「宝塚の男役」 にも通じる、
憧れの存在となったのです。
“ビューティ・ペアブーム” から10年ほどの歳月が流れた
1987年の牝馬クラシック戦線、
日本競馬界にも飛び切りの “ビューティ” が登場してきました。
その3歳牝馬の名は、マックスビューティ “Max Beauty”。
3歳1月のOP特別紅梅賞から連勝街道を突っ走った
マックスビューティは、8馬身差の圧勝でG1桜花賞を制覇。
道中で他馬と接触する不利があったG1オークスでも、
2馬身半差の危なげのない勝利を飾り、
鮮やかに牝馬2冠馬に輝いたのです。
秋に入り、牡馬を蹴散らしたG2神戸新聞杯、
牝馬3冠達成がかかるエリザベス女王杯の前哨戦である
G2ローズSと勝利し、
通算8連勝 (重賞5連勝) を記録したマックスビューティは、
その馬名にちなみ、「日本競馬史上最強の “究極の美女”」 という
最上級の評価を受けることにもなったのです。
マックスビューティは、470~500キロの馬体重でレースに出た偉丈夫。
筋肉質の逞しい身体付きと爆発的な強さは、
“日本女子スポーツ界の二大ビューティ” である、
ビューティ・ペアと共通するものがありました。
ところが、牝馬三冠達成が確実視され、
単勝1.2倍の圧倒的1番人気に推されたG1エリザベス女王杯において、
マックスビューティは、4番人気の伏兵タレンティドガールの急襲に屈し、
2馬身差の2着に完敗してしまいます。
このマックスビューティが牝馬3冠を取り逃がしたエリザベス女王杯は、
1980年代の日本競馬界を代表する番狂わせのひとつ。
ビューティ・ペアのプロレス・キャリアに例えれば、
ブラック・ペアにWWWA世界タック王座を奪われた、
1977年4月に行われたタイトルマッチのようなものでしょうか。
「勝負の世界に絶対はない!」。
このシンプルにして奥深い真理を、
ビューティ・ペアもマックスビューティも、体現してくれたわけです。
(次回は5月25日の水曜日にお届けします) 構成・文/関口隆哉