競馬を熱心に観はじめた1980年代の半ばごろ、
大好きになった牝馬がいました。
その名をラブシックブルース “Lovesick blues”。
クラシックレースには無縁で、
長く条件戦を走っていた地味な競走馬だったラブシックブルースですが、
芝の短距離、マイル戦で争われる
900万下~1400万下 (当時) クラスの条件特別を計13走し、
4勝2着4回3着1回と抜群の安定感を示した実力派でもありました。
馬券の軸として、信頼がおけることも、
ラブシックブルースを好きになった一因ではあるのですが、
やはり、もっとも惹かれたのが、
「恋わずらいのブルース」 と訳すことができる、その馬名。
ネーミングセンスがイマイチ(正直に言えば、イマハチくらい)だった
1980年代の日本競馬界において、
ラブシックブルースという馬名が、
際立って素敵なものであることは、間違いのないところだったと思います。
競走馬ラブシックブルースが、もっとも輝いたのが、
格上挑戦で出走した5歳10月のG3牝馬東京タイムズ杯。
好位から抜け出す競馬で、
東京芝1600m1分33秒5のレコード勝ちを飾ったラブシックブルースは、
最初にして最後の重賞タイトルを獲得したのです。
ちなみに、ラブシックブルースの母ベロナスポートも、
3歳秋を迎えた1976年に、重賞である牝馬東京タイムズ杯を制しています。
実は、ラブシッククブルースが現役で走っている時代には、
母ベロナスポートの馬名について、深く考えたことはなかったのですが、
今回、いろいろ調べてみて、
ベロナスポート “Verona’s Port = ベローナの港” の由来となったと思われる
イタリア北東部の伝統ある都市ベローナは、
シェークスピアの代表作 『ロミオとジュリエット』 の
舞台であることが分かったのです。
悲恋物語の歴史的傑作の舞台となった街の名を持つ母から産まれた
「恋わずらいのブルース」。
あのG3牝馬東京タイムズ杯制覇から24年の歳月が流れ、
ラブシックブルースという馬名が、さらに好きになりました。
(次回は8月3の水曜日にお届けします) 構成・文/関口隆哉