2009年09月30日
こんにちは。
今週のメインは6Fの電撃戦スプリンターズS。
このレースがめぐってくるたびに古老の方々には
タケシバオーの名を思い出す人が少なくないようです。
彼は国内では16-10-1-0とほぼパーフェクトな戦績、
芝、ダート兼用、距離万能、斤量・馬場不問で“怪物”と称され、
マーチス、アサカオーとの“元祖3強”でファンを沸かせ、
初の“1億円馬”として1960年代後半に大活躍しました。
圧巻は春に3200メートルの天皇賞を制し、
秋にはその年に限り『英国フェア開催記念』と銘打たれた
スプリンターズSに駒を進めてきたことでした。
当時の天皇賞は勝ち抜け制で秋には出走権がなかったのが
いちばんの理由でしょうが、それにしても1200メートルです。
しかし彼の強さは並外れていました。
62キロを背負いレコード勝ちの圧巻ぶりを見せつけました。
最近では96年に春の天皇賞を2着惜敗したナリタブライアンが
高松宮杯1200メートルに出走(4着)した例がありますが、
タケシバオーの時代とはレース体系も環境もまるで違います。
前年に菊を捨てて海外挑戦した彼は
このレースの後も二度目の海外挑戦を予定していました。
ここを海外への叩き台として選んだのは、
『英国フェア開催記念』とちょっとオシャレな薫りがする
レース名に陣営が魅かれたからでしょうか。
菊を捨ててといいましたが
彼は皐月賞、ダービーともに2着、出てくれば菊は大本命です。
現在なら強豪3歳馬は菊花賞以外にも秋の天皇賞、
クロフネのように菊トライアルからダート路線に乗り換えて
ジャパンCダートを制覇した馬もいます。
マイルチャンピオンシップなどマイル路線も充実しています。
壮行レースにスプリント戦が選ばれたこと自体、
彼にはほとんど選択肢がなかったことの証明でしょう。
しかも彼が向かった国際招待レース・ワシントンDCは
11月中旬の開催で輸送や検疫を考えると
暮れの有馬記念への出走はほぼあきらめなければなりません。
ずいぶんと勇気のいる選択だったと思います。
40年も前に、こういう馬と馬主と調教師、スタッフがいた、
彼の2歳上のスピードシンボリ陣営ともども
すばらしい先達がいた事実に感謝したい気持ちでいっぱいです。
きょうも来てくださってありがとうございます。
『海の向こうの競馬、そしてホースマン3』を更新しました。
2回目の今回はフォレ賞の見どころについて
海外競馬を知る合田さんが語ってくれました。
ぜひ、のぞいてみてください。
あすもよろしくお願いします。