2010年02月08日
こんにちは。
月曜早々から来てくださってありがとうございます。
今週のメインは京都のきさらぎ賞、
“クラシックの登龍門”として知られる名物レースですね。
『私はダービー馬の馬主になった感激を知らない。
あなたは去年その過激を味わったのだから、もういいじゃないか』
昭和の大馬主・上田清次郎さんの言葉と伝えられています。
上田さんは“炭鉱王”と呼ばれる大実業家で、
50年代には全国長者番付のトップに2度もつきました。
豊州炭鉱、豊前炭鉱など所有する炭鉱にちなんで
期待馬はホウシュウ、ブゼンの冠名で走らせ、
3年連続でリーディングオーナーに輝いています。
愛馬にダイナナホウシュウというサラブレッドがいました。
彼はデビューから11連勝で皐月賞を制覇します。
デビュー11連勝はトキノミノルの10連勝を超える
いまも日本レコードとして残る大金字塔です。
しかし彼はダービーで大きな不利を受けて4着に敗れます。
秋には6馬身差で菊花賞を圧勝していますから、
上田さんには悔やんでも悔やみきれない敗戦でした。
それから10年、ダイコーターという馬がきさらぎ賞を勝ち、
スプリングSではデビュー6連勝のキーストンに楽勝、
皐月賞は惜しくも2着に敗れましたが、
NHK杯でライバルをなぎ倒し、ダービーの大本命馬にのし上がります。
ダイコーターの馬主さんは橋元幸吉さん。
前年、シンザンで戦後初の三冠を制しているオーナーです。
どうしてもダービーオーナーの感激を味わいたい上田さんは、
橋元さんを口説きに口説き直前にトレードが成立し、
ダイコーターは上田さんの勝負服で晴れ舞台に臨みます。
ところが東京競馬場はドロドロの不良馬場、
軽快に逃げるキーストンを捉えきれず2着に敗れます。
きさらぎ賞快勝に端を発した世紀の大トレードは
「ダービーは金で買えない」などと批判されましたが、
ダービーオーナーになりたくて仕方のない駄々っ子のような
上田さんの心情はほほえましくも感じられます。
思えば前年には東京オリンピックが開催され、新幹線が開業、
高度成長の波に乗り、日本がいちばん勢いのあった時代です。
イケイケの時代には上田さんのようなヒーローが似合います。
しかし皮肉なもので62年に原油の輸入自由化が実施され、
石炭から石油へ、猛烈な勢いでエネルギー革命が起きます。
多くの炭鉱が閉鎖に追い込まれ世の中を騒がせました。
でも上田さんの競馬に注ぐ情熱は燃え尽きることなく、
上田牧場を開設しオーナーブリーダーとして活躍を続けます。
上田さんが亡くなった翌88年、
松田博資厩舎のコスモドリームがオークスを勝ちます。
ダイコーター産駒ブゼンダイオーの仔で上田牧場の生産馬、
みごとな弔い合戦になりました。
松田師にとっては平地初重賞、初G1ということになります。
九州出身で上田さんに可愛がられていたそうです。
その10年後に秋華賞を勝ったブゼンキャンドルは
上田牧場のオーナーブリーダー馬で曾祖母ムーテイイチは
松田師が騎乗して障害12勝を上げた思い出の馬です。
いまや屈指の名トレーナーとして脚光を浴びる松田師ですが、
次の夢は上田さんが果たせなったダービー制覇でしょうか。
武豊騎手と西川哲東京サラブレッドクラブ社長の
特別対談を更新しました。
どうぞよろしくお願いします。