2010年02月09日
こんにちは。
今週はきさらぎ賞、あれこれの話題を中心にお届けします。
“クラシックの登龍門” として名高いレースですが、
実際にそれだけの輝かしい歴史を刻んでいます。
第1回の勝ち馬スギヒメが桜花賞馬となり、
きのうお話したダイコーターが菊花賞を勝ちますが、
春の牡馬クラシックは皐月賞、ダービーともに2着まで、
惜しいところで手の届かない年がつづきます。
そんな関係者のイライラを吹き飛ばしたのが68年の第7回。
東の強豪タケシバオー、アサカオーに対して
西の期待を一身に背負うマーチスが登場してきます。
レースはマーチスの圧勝で2着がタニノハローモア、
この2頭はウオッカの谷水雄三オーナーの父上信夫さんが
興したカントリー牧場のともに一期生にあたります。
最初の世代がクラシックで有力視される存在に育つ、
それだけでも大変なことなのにカントリー牧場の同期は、
マーチスが皐月賞、タニノハローモアがダービー、
春のクラシック二冠を独占します。
さらにきさらぎ賞3着のコウユウは桜花賞を勝ち、
きさらぎ賞組が東で西で大暴れ、
“クラシックへの登龍門” の地位を不動のものにします。
コウユウは社台ファームの生産馬で父ガーサント。
『日本人が馬鹿にされていた時代に
良くこんな名馬を売ってくれたものだね』
購買者の吉田善哉さんがそう述懐したと伝えられます。
「日本人が馬鹿にされていた」というのは
62年に訪欧した池田勇人首相がド・ゴール仏大統領に
「トランジスタラジオのセールスマン」
と揶揄された事件をさしているのだと思います。
“エコノミック・アニマル” と呼ばれ、
いわれのない侮蔑にさらされていた当時の日本人。
その一方では “日本人の誇り” を取り戻すために
戦っていたホースマンもいました。
タケシバオーと馬主の小畑正雄さんもそうだったと思います。
タケシバオーは皐月賞がマーチスの2着、
ダービーがタニノハローモアの2着、
菊花賞では最有力視されていました。
しかし彼は残された一冠には目もくれず海外に旅立ちます。
ワシントンDCに挑戦するためでした。
アクシデントなどもあり結果は伴わなかったのですが、
時代背景を考えると、大きなリスクを背負っての挑戦は、
“日本人の誇り” を世界に示すものだったと思います。
きょうも来てくださってありがとうございます。
今週もどうぞよろしくお願いします。