2010年03月03日
こんにちは。
話はちょっと古くなりますが、昨年パート2が公開され話題を呼んだ
映画 『レッドクリフ』 の主人公となった呉の周瑜(しゅうゆ)、
その原作 『三国志演義』 によると彼はこう叫んだと伝えられます。
『天はこの世に周瑜を生みながら、
なぜ諸葛亮をも生んだのだ!』
彼は天才的軍略家として知られ赤壁の戦いでも智謀を絞ります。
しかし諸葛孔明という鬼のような戦略家の前には
さすがの周瑜も敗北を認めざるを得なかったという逸話です。
サラブレッドの世界にもよくある話ですね。
そこで思い出すのが04年の弥生賞で敗れたハイアーゲーム。
彼は単勝1.2倍の新馬戦を三角ひとまくりで5馬身差の圧勝、
つづく百日草特別でも同じく1.2倍と圧倒的人気を集めます。
この時点でクラシック期待の星という見方をされていたのですね。
ところが彼は逃げるコスモバルクを捕らえきれず2着に敗れます。
ちなみにコスモバルクは中央初出走、9番人気でしたが、
おわってみればレコード駆けの快勝でした。
ハイヤーが油断したというよりバルクの実力を認めるべきでしょう。
気を取り直したハイヤーはラジオNIKKEI杯2歳Sへ向かいます。
ところがここにもバルクが出走しており、
ハイヤーは賞金加算にも失敗する3着におわります。
年が明けて500万条件をあっさり勝ち上がりますが、
クラシック出走にはまだ賞金が不足しています。
そこで迎えたのが弥生賞、彼はまたもバルクに敗れ4着でした。
のちに考えれば、彼は全5勝中4勝を東京コースであげています。
広々としたコースでこそ末脚が生きるタイプだったのでしょう。
クラシック出走にあとがなくなった彼は、
マイナス10キロと究極の仕上げで青葉賞に臨みます。
彼は他馬が止まって見えるほどの上がり33秒7の豪脚を駆使して、
2分24秒1のレースレコードで快勝します。
つづくダービーでもキングカメハメハに真っ向勝負を挑みますが、
開いた内をハーツクライに差し込まれ3着と無念の涙をのみます。
今になって思えば青葉賞が競走生活のピークだったのでしょうか。
無名の地方馬に3度挑み3度敗れたハイアーゲーム、
もしそうでなければ彼のローテーションは違ったものになり、
その競走生活もまったく別のものなっていたかもしれません。
そう想像させるほど青葉賞の脚が素晴らしかったからです。
きょうも来てくださってありがとうございます。
考えてみると競馬のレースにはひとつひとつに
こうした物語が詰まっていますね。
とくにクラシック・トライアルにはそんな趣を強く感じます。
ちょっとしんみりしましたが、あすもよろしくお願いします。