2010年05月08日
こんにちは。
長い間、菊花賞トライアルとして親しまれていた京都新聞杯が、
時期を春に移し “ダービー最終便” となったのが2000年。
その年、このレースを制し返す刀でダービーをもぎ取ったのが、
河内洋騎手(現・調教師)が騎乗するアグネスフライトでした。
母アグネスフローラは桜花賞を、
祖母アグネスレディーはオークスを、
ともに河内騎手の手綱で勝っています。
ちなみにレディーのオークスは河内騎手のG1初制覇、
フライトの全弟タキオンの皐月賞が最後のG1でした。
よくよくこの一族と深い縁でつながれているんですね。
さて卓越したスピードと類稀なレースセンスを持つこの一族、
唯一の泣きどころが脚元の弱さにあったようです。
フローラは5戦5勝で臨んだオークスで2着に敗れると
そのまま引退して繁殖入りします。
フライト自身もダービー後は脚部不安と戦いながら、
休み休みにレースに使われていました。
タキオンが4戦4勝のまま引退したのはご存じのとおりです。
そしてタキオンが早世し、フライトの繁殖生活も恵まれません。
この速すぎるがゆえに悲運の影がついて回る一族に
強靭な後継馬が現われないものでしょうか。
それを河内調教師が育ててくれたらうれしいですね。
きょうも来てくださってありがとうございます。
あすもよろしくお願いします。