2011年01月18日
こんにちは。
昨年を振り返って感慨深いのは外国馬、外国産馬の活躍でした。
新風を吹き込んだという意味では、
いわゆる持込馬も含んで考えた方がいいかもしれません。
持込馬は海外で種付けして日本で生まれたか、
海外生まれでも当歳の12月末までに輸入された馬を指し、
もともとクラシック出走権を認められた内国産馬扱いでした。
ダービー馬ヒカルメイジ、桜花賞・オークスのミスオンワードなど、
クラシックレースを制覇したり、
“無冠の貴公子” タイテエムが天皇賞を戴冠したり、
いろいろなドラマを演じてくれました。
ところが1971年に活馬輸入自由化が実施されます。
“経済大国” へと成長した日本には避けては通れない道です。
しかし速くて強い持込馬が大挙して来日しては
日本の生産界は壊滅状態に陥るという危機感から
持込馬は外国産扱いとなり出走レースを制限されることになります。
この時代の “悲劇のヒーロー” がマルゼンスキーでした。
8戦不敗と圧倒的なスピードと強さを見せつけた彼ですが、
ダービーに出ることすらかなわずターフを去ります。
外国産馬、持込馬がクラシックに出走できるようになったのは、
ようやく今世紀に入ってからのことです。
クラシックホース続出かと思われたのですが、
時はサンデーサイレンス全盛時代、
日本ホースマンの眼はSS産駒のみに注がれていました。
最初にダービーを勝ったのはキングマンボの持込馬
キングカメハメハで2004年のことでした。
2007年に外国産馬ローブデコルテがオークスを勝ち、
昨年はキングマンボ直仔キングズベストの持込み、
エイシンフラッシュが神速の末脚でダービーを制しました。
考えてみると、これらの輸入馬の活躍は、
SSの興隆と衰亡の歴史に深く関わっているように思えます。
そのあたりは、また明日にでも考えてみたいと思います。
きょうも来てくださってありがとうございます。
2011年の幕開け・中山金杯は
外国産馬コスモファントムが鮮やかに抜け出してきました。
今年もマル外、マル持から目が離せそうにありません。