2011年03月19日
こんにちは。
《競馬》 と 《復興》、二文字ずつ二つの言葉が
深く結びついているのは歴史的にも証明されます。
戦後の復興に競馬が役に立ったのは間違いないでしょう。
でも、《戦災復興競馬》 は戦後1年近い時期を経て
ようやく開催されています。
競馬法という法律があります。いわば競馬の存立基盤ですね。
その第1条には、こう書かれています。
《第1条 日本中央競馬会又は都道府県は、
この法律により、競馬を行なうことができる。
2 次の各号のいずれかに該当する市町村 (特別区を含む。以下同じ。)で
その財政上の特別の必要を考慮して総務大臣が農林水産大臣と協議して
指定するもの (以下「指定市町村」という。) は、その指定のあつた日から、
その特別の必要がやむ時期としてその指定に付した期限が到来する日まで
の間に限り、この法律により、競馬を行うことができる。
1.著しく災害を受けた市町村
2.その区域内に地方競馬場が存在する市町村》
ちょっと七面倒くさい文言ですが、
戦争とか今回の災害のような場合に “復興” 目的に
競馬の開催が認められると言っているわけです。
その条件は被災地で競馬場があることが前提となっています。
東北で現存する競馬場は、盛岡、水沢、福島の3場ですから、
本来ならそこで復興競馬が行われてしかるべきなのでしょう。
でも、戦後すぐや被災直後に競馬ができるわけもありませんから、
今回のJRAは 《復興”支援”競馬》 になるわけです。
いささか苦しい理論建てという気もします。
競馬開催も含めて経済活動停滞を招いてはならない、
そういう論理も良く分かります。
だけれども、その論理は復興や復興支援に直接は結びつかない、
なんだか強引でうさん臭い気持ちにさせられたりします。
きょうも来てくださってありがとうございます。
取り止めのない話になって申し訳ありません。
まだまだ平静にはなれないJ-horsemanですが、
明日もどうぞよろしくお願いします。