2011年06月22日
こんにちは。
《感銘を受けた馬》 のお話をしています。
《感銘を受けた宝塚記念馬》 の物語にリレーしたいと思います。
宝塚記念は阪神の芝2200mで争われる中距離レースです。
《2200mまでならハイセイコー、2400mを超えるとタケホープ》
と希代のライバル同士が比較されたように、
たった1ハロンでレースの性質が大きく変わってくるようです。
どちらか言えばスピードタイプに分がありそうです。
宝塚記念を最大着差で勝ったのは74年のハイセイコーと
83年のハギノカムイオーの5馬身でいずれも中距離が得意でした。
ところがもう1頭、5馬身差で勝った馬がいます。
94年の覇者ビワハヤヒデです。
三冠馬ナリタブライアンの兄として有名ですが、
この馬も半弟に負けず劣らず相当に強いサラブレッドでした。
持久力に富んだスピードの持ち主で、
いつも直線で早めに先頭に立ち押し切るレースぶりから
目標にされる分だけ取りこぼしも多かったのですが、
勝つときの強さには王者の風格みたいなものがありました。
3歳春は成長途上ということもあって
皐月賞、ダービーともに2着に敗れ無念の涙を飲みます。
浜田光正調教師は夏を放牧にあてず厩舎に置いて
ビワハヤヒデを心身ともに鍛え上げることに専心します。
その甲斐あって急速に本格化を遂げたビワハヤヒデは、
菊花賞を5馬身差でレコード勝ち、無冠に終止符を打ちます。
明けて4歳春は無人の野を行くような活躍ぶりでした。
休み明けの京都記念を7馬身差で勝つと天皇賞・春も完勝、
そして臨んだ3つ目の勲章が宝塚記念でした。
岡部幸雄騎手を背に追われるところもなく走った彼は、
5馬身差をつけて悠々とゴール板を横切っていました。
彼の最後のレースはその秋の天皇賞でした。
圧倒的な1番人気に推されますが直線でいつもの伸びがなく
5着に敗れます。レース中に屈腱炎を発症していました。
ビワハヤヒデにとっては初めて2着以下に落ちた一戦でした。
このレースを除けば生涯15戦10勝2着5回、
このパーフェクト連対記録はシンザンの19戦に継ぐものです。
彼が宝塚記念を勝った94年という年は
サンデーサイレンス初年度産駒のデビュー年として記録されます。
先ほどご紹介したように彼はステイヤータイプでした。
スピードと瞬発力優先の競馬への変わり目の年に引退した彼は
種牡馬としては成功できませんでした。
しかし彼が3歳秋から4歳春の半年間あまりに見せた
強さは格別のものがあったと思います。
きょうも来てくださってありがごうございます。
明日も 《感銘を受けた宝塚記念馬》 の続きをお届けします。
『馬名ミュージアム』 を更新しました。
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