2011年07月07日
こんにちは。
ドリームジャーニー、アサクサキングスにつづき、
カジノドライヴの引退、種牡馬入りが決まりました。
京都の新馬戦を大差でぶっちぎり、2戦目でアメリカに遠征、
G2ピーターパンSを楽勝したときは、
この先いくつG1を勝つんだと誰もが思わされました。
日本調教馬としては史上初の米グレードレース勝利だったのですが、
そんな過去の記録がまったく気にならないほど、
カジノドライヴの前途は洋々と開けているように思えました。
ところが兄ジャジル、姉ラグズトゥリッチズにつづいて
史上空前の大偉業である兄弟3連覇を狙ったベルモントSは
直前に坐石で出走自重という悲運に見舞われました。
再起を期したブリーダーズCはサンタアニタのオールウェザーが
まったく合わず生涯初の敗北を味わうことになります。
日本に帰ってフェブラリーSでは超一級の実力を証明しました。
逃げるエスポワールシチーを馬なりで交わすとゴールへ一目散、
G1の栄光はもう目のすぐ前にありました。
ところが彼1頭を虎視眈々と目標にしてた騎手と馬がいました。
内田博幸騎手とサクセスブロッケンでした。
ゴール寸前で一瞬の出し抜けを食らい2着に敗れます。
しかし内をすくったカネヒキリを押さえ込んだのはさすがでした。
フェブラリーS史上に残る名勝負を見せてくれました。
そしてアメリカ生まれの彼は日の丸を背負ってドバイへ向かいます。
ところがレース前に連日の豪雨がナドアルシバ競馬場を襲い、
コースから砂が流されコンクリートのように固まってしまいます。
彼と安藤勝己騎手は精魂込めて極悪馬場を疾走しましたが、
この無理から屈腱炎を発症し競走生命を縮めることになります。
考えてみれば悲運な馬でした。
しかし引退後は社台スタリオンという最高の環境を得ました。
サンデーサイレンス系の血を一滴も持たない彼は
社台の優秀な牝馬との親和性がかなり高いと思えます。
もともと祖父エーピーインディがアメリカで大成功したのは、
ミスタープロスペクターやノーザンダンサーの血を持たず
それらの繁殖牝馬との和合性が高かったからと言われます。
父マインシャフトも姉ラグズトゥリッチズも彼自身も
そうしたアウトブリードの傑作だったと思われます。
偉大な祖父エーピーインディは昨年種牡馬を引退しました。
後継馬として父マインシャフトの評価が高まっています。
日本には数少ないエーピーインディ系種牡馬ですから、
需要はますます高まっていくでしょう。
種牡馬としてG1馬を量産してほしいですね。
きょうも来てくださってありがごうございます。
今日は七夕、競走馬としてはちょっと悲運だったカジノドライヴ、
彼の種牡馬としての成功を短冊に書いてお祈りしましょうか。