| 閑話休題 今回は成駿さんから山本オーナーに 思いがけない質問が・・・? |
駿 | ところで山本さん、 一体どういう幼少期、青年期をおくれば、 あなたみたいに成功できるのかな? というのは、私が知っている成功者は 多かれ少なかれアクの強さみたいなものがあるんだが、 山本さんにはそれが感じられない。 どこか良いところの御曹司かな と思ったりもするんですが(笑)。 |
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俊 | 残念ながらそうじゃないんです(笑)。 私の父は2回、会社を倒産させているんです。 しかも癌で若いうちに壮絶な最期を迎えた。 亡くなったのは私が26歳くらいの時だったかな・・・。 |
駿 | ご苦労をなさったんですねぇ。 それで父上の跡目を継承して家業を継いだ? |
俊 | いえ、家業は学生時代から手伝っていまして、 鉄鋼業と飲食業とパチンコ店、 その良さも限界もわかっていたつもりなので、 まったく違う道に進みたいなと思いました。 でも、残された家業には従業員もいますから、 そちらを立て直すのが先決でした。 何とか軌道に乗ったところで後を叔父にお願いして、 私は現在の会社の母体になる レジャー関連の会社を興しました。 大成功した人間の息子は駄目だっていいますよね。 うちはそうじゃなかった。その点は気楽でした(笑)。 で、目標はわかりやすいほうがいいだろう、 お袋や家族たちにも理解できるように 5年くらいで長者番付に載れるようにって頑張りました。 |
駿 | 「創業は難し、されど守成はなお成り難し」といいます。 山本さんは父親の跡を継ぐのではなくて、 自ら創業者となる道を選んだんですね。 それは非常に賢明な選択だったと思います。 先代の跡を継ぐと、どうしても比較されますからね。 それは楽なことじゃないでしょう。 で、実際に5年で載れた? |
俊 | そうですね。 私が初めて長者番付に載ったのは31歳の時でした。 父が亡くなって5年後でしたね。 |
駿 | どうやったら金儲けできるのかね?(笑) |
俊 | でも金儲けはできたけど、 人間との関係がうまくできなかった。 社員となかなかコミュニケーションがとれなかったんです。 私もそうですが、みんな若かったですからね・・・。 |
駿 | ヤンチャな子も多かった? またヤンチャでなければ、 右も左もわからない業界の中で 生き残っていくのは相当に難しい。 そこをどうカジ取りするか、 山本さんとしては進退きわまった? |
俊 | おっしゃるとおりですね(笑)。 |
駿 | でも武田信玄じゃないが、 「人は城、人は石垣」なわけです。 若き日の山本オーナーはどうされたんですか? |
俊 | どうしようか?と考えて孔子を読みました。 でも最初のうちは何を書いてあるのか、 チンプンカンプンでした。 |
| (あしたにつづく) |