| 『競馬は見識が走るもの』 成駿さんの“予想哲学”に揺るぎはない。 しかし山本さん、 “見識”という言葉に、 ある光景を思い浮かべたという。 |
俊 | 清水さんの予想哲学は、 競馬というものは、 関係者の見識の競い合いなのだから、 その関係者の立場にたって “走らせる側の論理”を読み解くことが 鍵だということになりますね。 |
駿 | そういうことですね。 |
俊 | なかなか奥が深いロジックなのですが、 見識を読むというのは、 相当に難しいですね。 |
駿 | だから私のような予想屋が商売として成り立つ。 当たり外れを競うだけなら商売になりませんよ。 “競馬の神様”といわれた大川慶次郎さんですら、 パーフェクト予想は生涯に4回だけです。 |
俊 | 4回をたいしたことないと見るのか、 立派だと思うのか…、 私は素晴らしいと思いますが…。 |
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駿 | そうですね。 でも、9歳で馬主だった父上に連れられて 牝馬のヒサトモが勝った 第6回の日本ダービーを見たのを皮切りに、 もう60年以上も競馬をやってきて、 全レースを見切れたのが4回という話です。 むしろ大川さんが偉かったのは、 当たり外れもそうだけれど、 その高い見識にあったと考えているんですよ。 |
俊 | “競馬の神様”大川さんも、 “カリスマ予想家”清水さんも、 最後は見識こそが 唯一の商売道具という感じですね。 関係者の見識を読むのも 見識がないとできないんですね。 |
駿 | そのとおり(笑)。 さすが山本さんは鋭いね。 まぁ、自分で自分の見識が どうこういうのもおかしなもんだが(笑)、 ただ研究はしますね。 ひたすら勉強して、研究して、 引き出しをいくつもてるか、 それが勝負だと思いますね。 |
俊 | 引き出しですか…。 |
駿 | そう。 私のような評論家もそうだけれど、 調教師にしても騎手にしても同じですよ。 藤澤調教師とか、武豊騎手とか、 優秀な人は引き出しの数からして違う。 そして必要なときに必要な引き出しを パッと引き出せる勘みたいなものがある。 もう、これは競馬だけ考えててもだめで、 おおげさにいうと、森羅万象につうじていないと そこまでいけませんね。 |
俊 | そうですね。 ちょっと前にテレビの番組(武豊TV)で 武くんとおしゃべりしたんですが、 いまの自分が新人時代にワープできたら 100勝でも200勝でも できちゃうと笑っていました(笑)。 |
駿 | そりゃあ、そうでしょう(笑)。 いまの頭脳に若い体力があれば鬼に金棒だ(笑)。 300勝でも400勝でも当たり前ですよ(笑)。 |
俊 | それが引き出しの数の力ということなんですね。 |
駿 | そうだと思います。 これは才能がいくらあっても蓄積できません。 研究であり、勉強しかないんです。 そうして自分の見識というものが鍛えられて、 他人の見識が見えるようになる。 読めるようになるんです。 |
俊 | もう、ほとんど学ぶということに近いですね。 |
駿 | そうですね。 私は酒も飲むし、博打も打つし、 人からは無頼のヤカラと思われています(笑)。 でもね、どこにいようと 学ぶ姿勢は忘れちゃいけないね。 まぁ、私にとっては酒も博打も師匠というか、 いろいろと学ばせてもらっています(笑)。 |
俊 | 私が競馬に興味を持って、 競走馬のオーナーになろうと決めたのも、 いろいろな人からさまざまなことを 学ばせてもらったことが大きく影響していますね。 |
駿 | ホーッ、それはどういうことですか。 |
| (あしたにつづく) |