武豊 西川哲 新春特別対談

“スーパージョッキー”武豊騎手と、競馬の世界でトップを目指す東京サラブレッドクラブ社長西川哲が存分に語り尽くしてくれました。
第3回
ともに騎手になることを勧められていた少年時代

武豊騎手と西川哲社長の少年時代には、ある共通点があります。
それは、周囲の大人たちから、将来は騎手になることを勧められていたこと。

ぼくの場合は、厩舎で生活していて、馬がいつも身近にいたし、
親父も騎手ですから、将来、自分がジョッキーになるのも、
子供のときから、当然のことと考えていました。
それに、子供のときは身体も小さかったですし、
厩舎に来る人、来る人みんなから、
“将来は親父さんみたいな騎手になれよ” と、
いつも声をかけられていました。

ぼくも、小学生のときは、凄く背が小さかったんだよね。
140センチくらいしかなかった。

ぼくも中学に入るときは140センチちょっとだった。
でも、中学を卒業して、JRAの競馬学校に入るときには、
もう163センチになっていて、
騎手課程の同級生のなかでは、一番大きくなっていましたね。

ウチも父親が馬主で、さっき言ったように、
子供のときは身体が小さかったから、
家に訪ねてくる調教師の先生とかには、
“将来は騎手になるといいよ” と、よく言われていた。
でも、当時の競馬は、今と違って、世間的な印象が良くなかったから、
そういう世界に入るのは、ちょっとイヤだなと思っていた(笑)。

う~ん、ぼくらは、特に感じていなかったけど
やはり一般的には、競馬のイメージは悪かったのでしょうねぇ(笑)。

でも、子供のころから、中学3年生くらいまで、
毎年、夏休みは静内の牧場で過ごしていたから、
馬には乗れるんですよ。
ちゃんとした乗馬の訓練はしてなくて、
親に強制的に乗せられていたわけだけど・・・(笑)、
まあまあ、ソコソコ様には、なっていたと思うよ。

 
 

(水曜日更新の第4回につづく)

  
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