武豊 西川哲 新春特別対談

“スーパージョッキー”武豊騎手と、競馬の世界でトップを目指す東京サラブレッドクラブ社長西川哲が存分に語り尽くしてくれました。
第6回
トーナメントに参加するときは、まず先輩全部に挨拶

ジョッキーを目指していた武豊少年が、
千葉県白井にあるJRA競馬学校の騎手教育課程(注1)に入学したのは、
1984年4月、15歳のときでした。
武豊騎手は、騎手教育課程の第3期生。
同期には、関東の一流ジョッキーとして大活躍する蛯名正義騎手などがいます。

哲      

競馬学校ができる前は、
どうやってJRAの騎手になっていたの?

まず、調教師に弟子入りして、厩舎作業を学んでから、
世田谷の馬事公苑にあった騎手養成所に入るという形でした。
まさに厳しい徒弟制度の時代ですよね。
白井に競馬学校ができて、厩舎には関係ない家の子供も、
騎手になりやすくなったと思います。

ゴルフも、昔は師匠がいて、ゴルフ場に所属する形だった。
武ちゃんや、自分らは、旧世界から新しい世界に移り変わるときの
“狭間の世代”  だよね。

今も厩舎に所属して、強い師弟関係を持っている乗り役もいるけど、
フリーの騎手の方が圧倒的に多い。
ぼくらがデビューした頃とは、確実に時代は変わってきていますね。

 ともに20年以上前にプロスポーツの世界に飛び込んだ、
武豊騎手と西川哲社長。
当時の自分たちと、現代の若手プロたちの間に、
大きく違う点はあるのでしょうか。

自分たちが若手だった頃は、
もちろん、勝ちたいと思ってトーナメントには参加するのだけど、
上の世代の人たちの壁が、凄く厚かった。
でも、今の若い人たちは、18歳の(石川)遼クンが、
賞金王に輝くのを見ているわけだから、
“これなら、自分でもなんとかなるのでは” と思えるんじゃないかな。
そう考えるのは、悪いことではないけど、
自分たちが若かった頃とは、だいぶ感覚が違う。
自分たちは、若いときは経験を積んで、いろいろなことを吸収して、
それから勝てるようになれればいいと考えていたからね。

それと、ぼくらが若いときには、怖い先輩も多かった。
今の若手たちは、本当に居心地がいいと思いますよ(笑)。

実際、トーナメントに150人の先輩が参加していたら、
150人全員に挨拶してからプレーに出て行ったものね(笑)。
 
 

(水曜日更新の第7回につづく)

  
 (注1)
4月に入学し、3年間に渡り、プロの騎手になるための技術や知識を学ぶ。
3年次の10月に行なわれる第一次試験、2月に行なわれる第二次試験に合格すれば、
騎手免許が与えられる。
  
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